時々私は、自分なら絶対に選ばないような生き方を、信念を持って実行している人に、妙に興味をひかれることがある。でもそれは共感しているというのではなく何を考えたらそういう心理になるのか不思議でならないからである。
たとえばの話。
とある体罰と思われる行為を行っているスクールの校長と、若者が「暴力」について議論している動画を見た。
若者は、「人間は会話ができる生き物なのだから、コミュニケーションで解決すべきだ」と主張する。
一方で校長は「いや、そもそもここに来るのは、そんなコミュニケーションすら通じない人間だ」と言う。
私は暴力を肯定するつもりはない。けれど、その主張には正直、ああそうか。と思ってしまった。
なぜなら、自分の常識では測れない価値観や行動を持つ人たちは、確かに世の中に存在しているからだ。
実際、私自身もアトピーがひどかった時期に、何度かそういう「想像を超える出来事」に遭遇したことがある。
通りすがりの知らない人に、「かわいそう」といきなり言われた。
ある知人には、「ゾンビみたい」と笑いながら言われた。
“かわいそう”はまだしも、“ゾンビ”とは…よく面と向かって言えたなと今でも思う。
そういえば、国家資格を持ちながらにして盗撮をしてきた鍼灸師もいた。(関連記事:鍼灸院でのショックな出来事)
一体どんな神経してるんだろう、と一瞬考えてはみるが全く理解ができない。
ああ、きっとこの人たちとは一生わかりあえないな、と思ってしまう。
一方で、ショートスリーパーを推している方のSNS発信も見てみた。
見た目もなんか眠たそうだというのが私の感想なのだが、ショートスリーパーが良いとか悪いとかいう話ではなくて、彼はショートスリーパーをするとについていろいろと説明したり解説したり、論理的っぽいこと言ってるけど、何を言っているのか全く頭に入ってこないという不思議があった。
論点が正しいような正しくないような、話も噛み合っているようないないような、とにかく意味が入ってこない。
言い方、話し方でどうにかなっているようなそんな感じである。(※個人の感想です。)
完全に自論だが、世の中には意味なんてないことをさも本当のことのように話すのが妙にうまい人、というのが存在すると思っている。同じ言語のはずなのに、何一つ理解できない。でもこちらがぼーっとしているとそれが絶対的な真実かのような気になってきたりする。そしてそういう人たちはコントロールしやすい人を見分けるのが異常にうまかったりする。。。
意外と身近にいる気がしてこないだろうか?
のちのち気づいたことだが、過去にお付き合いしていた人がまさにこんな感じでお金は無くなるは、アトピーは悪化するわ、友達は減るわでボロボロになったことがある(笑)
マインドコントロールを奪われるということはまさにこういうことを言うのだろう。この状態になると他人に何を言われても自分の心に入ってこない。でも当時はなにも気づいていなかった、ただなんとなく彼の主張が正しいような気がして攻められたら自分が悪かったのかな、と律儀に反省したりしていた。
彼の言葉は、一見すると穏やかで理性的なのだ。怒鳴られたことも、汚い言葉を浴びせられたこともない。けれど、ゆっくりと私の価値観を塗り替えていくその声は、確かに「言葉の暴力」だった。
怖いのは、暴力的な言葉よりも、静かな声だったのかもしれない。

もちろん、暴力も睡眠習慣も、アトピーに関する無神経な言葉も、元カレの話も全部ぜんぶ違う話ではある。
でも、共通して思うのは、
自分には理解できない人、想像すらできない思考を持つ人は、たしかにこの世界に存在する
ということ。
そういう人がかかわっている人の中にいたり(のちのちやばい奴だったと気づくパターン)、急に寄ってこられたり、思いがけない方向から言葉をかけられるかもしれないという事実があるということ。そしてその中に自分も巻き込まれていると気づいていないかもしれない。
やっかいなのは彼らは一見するとみんな最初は「普通の人」だった。そして善良な顔をして近づいてくるのだ。
「なんかおかしい」と思ったときには、もう深く入り込まれているかもしれない。
なんとなくそんな人たちが自分の身近にいる気がしてこないだろうか?・・・
「普通」の顔をしたまま、理解不能な世界はすぐ隣にある。
今日すれ違った誰かが、その入り口かもしれない。
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